7月のとよひかりの日。
七月のとよひかりの日
二〇一六年夏。
一年の半分が過ぎ、二〇一六年も折り返し。
そんな一日一日が風の如く流れていく毎日で、
夏の宇検村は、賑やかな日々である。
そんな賑やかさの反面、
ゆっくりと時を過ごす時間が少しばかりあると、
その時間がとても贅沢で、至福。
− − − − − − − − – − − − − −
六月の末に、東京から友人が訪れた時のこと。
彼女とは異国の地で三年前に出会い、
ここ宇検村で
約二年ぶりの再会を果たすことができた。
年齢が店主と同い年で、自然と気が合い、
色んなことを相談し合った仲である。
と、店主は勝手に思っている。
空港で彼女と再会した時、
異国の地で過ごした二年間はやはり夢ではなく、
現実であったことを思い出させてくれた。
自分が生まれて育った日本の中にいると、
ついつい忘れてしまいがちになってしまう、
世界のこと。
自分一人が考えなくても、
世界は良くも悪くも変わらないかもしれない。
むしろ、自分の周りで日々起こることの対応で
容量がオーバー気味になってしまい、
気を向けたいことを後回しにしてしまっている。
それでも個人的に思うことは、
最近の出来事を通じて「外国=危険」と、
日本と海外の壁を
厚くしてしまう人が増えていくことは、
外国で危険な目に遭いながらも、
外国の人に救われたことがある身としては、
少なからず悔しい気持ちが湧き、
「真意や本質を知ろうとする姿勢」は
忘れないでおこうと思う。
− – – – – – – – – − − − − −
奄美に住み始めて、一年と三ヶ月。
以前の店主を知っている人は
周りにはいないという、
まっさらな環境で過ごす毎日に、
刺激より不安を抱くことが
多くなってしまったのは、
年をそれなりに重ねてきたからなのか、
ここで生きていきたいからこその
もがき
なのかもしれない。
少し大袈裟かもしれないが、
ある意味、
一日一日が勝負な生き方で、
時々
綱渡りをしているような気分にもなる。
そんな時にふと訪れる
内地からの友人たちの存在は、
実に大きくて、
近すぎず 遠すぎずの、
コーヒーを飲むことで息抜きができるように、
一緒に過ごすことで息抜きができる、
ちょうどよい距離感にいる存在。
何事も
あまり、気張らずに
肩の力を抜きつつ。
柔らかく。
少し止まる、
そんな日があってもいいもんね。